20230610

コンサータ休薬。めまい、耳鳴りなどがひどくほとんど家で寝てた。夜は恋人とおしゃべり。

恋人と水着撮影会中止の件が話題になり色々話してくれたんだけど、そのときはそうなんだ〜(了解・理解の相槌)で全部返してしまった。でもあらゆる面で複雑な問題だよな。ちょっと考えたことまとめとく。

 

◆表現の規制

・後追いで情報を見る限り、どこまでが事実なのかはわからないが、共産党の申し入れなど関係なく中止になるだろうなという感じ

・本当にただの水着撮影なら良いが、際どい布面積/ポーズ、未成年のモデルがいる状態を複数箇所から通報されているのなら、県が公共施設の利用許可の実績を作るだけでもまずいだろうし、やむなしな気がする

表現規制に強い抵抗感ある人多いよね。主催側やモデル側が突然の中止を嘆く気持ちもわかるが、被害に遭いましたみたいな面をしてそれをメディアがセンセーショナルにとりあげるのはなんか変な感じがするな

◆子どもの意思、権利

・今回の件は当人が「ロリ」を自称して写真をあげていたりで活動に意欲的らしい

・性的なニュアンスがあるとはいえ、水着やグラビアはR-18のラインに抵触しない以上、本人が意欲的であるとパターナリズムとの線引きが難しいな

・ただ子どもが自らを「ロリ」と称して活動してるのは健全ではないと思う。自分の身体は自分のものであり、大切に扱われるべきものであるという感覚を得る以前に、自らの成熟していない身体に性的な価値があることを学習しているのだと考えると、こういうイベントが当たり前に許容されてるのはよくないよなという感じ。当人が進んで消費されようとしていてもトップダウン的に守られるべきなのかなと思う

 

◆子どもの裸体はポルノなのか

・ヌードは芸術でよくテーマになってるし、未発達の身体にしかない剥き出しの美はあり、小児性愛者でなくてもそれを芸術として愛でたいという感覚は了解可能

・有名な写真家だとサリー・マンなんかが子どものヌード写真で批判されてたと思うが、ヌード作品はキッチュで露骨でポルノ的なそれとの区別が付けにくいと思う。どれならよくてどれなら悪いのか? 誰が芸術無罪を判断するのか? 技巧があれば許されるのか?など考えないといけないことが多そう

・残念だが写真という媒体の性質特有の問題(モデルが実在する、拡散性が高いなど)がある以上、表現の幅は狭めざるを得ないだろうな

(おわり)

 

それにしても色々頭をよぎったが会話中全部そうなんだ〜で済ませちゃったな〜リアルタイムでの文の組み立て苦手すぎて悲しい。別に思想に対する気持ち?みたいなのはないから、話したかったわけじゃないんだけど。こういうのあんまり言及する方ではないし。個人的には会話の本質ってトークンの交換のほうにあると感じているから、好き好き言い合えるだけでそれはもうとても幸せなんだけれど、意味のある会話を振られたときくらいちょっと意味のあることを返せるようにしたいよねえ

 

なんか長文書くのってすごく恥ずかしいな〜

特にこの前長々気持ちを書いたやつとか。

前のブログもそれで消したんだった。まあ嫌になるまではやるか