20230523

14時近くまで起きれずぐったりしていた。先週はコンサータを飲んで無理やり動いていたし、まあ反動もあるか。最近は確実に調子が良くなっているし、仕事するにあたって必要以上に焦る必要はない。夕方くらいに頓服。

今日は通話を五時間くらいした。自分の人生の話を時系列順にしたが、そんなことをつらつら話す機会なんて本当にないから不思議な気持ち(恥ずかしい?)になった。ずっと精神がおかしかったこととか、学校サボってろくに行ってなかったこととかばかり話した。でも今は「人生とは苦しみを誤魔化す営みである」という人生観が変わり、未来を希望に感じてきたということを話した。

それにしても自分は10代という大事な時期に壊れていたせいで人生を棒に振ったな、みたいな気持ちが割とあったが、逆にその辺りで一通り家族関係のトラブルなどをやっといてよかったのかもなと思った。実家から離れて年数も経ち、自分も成長して、まあ仕方なかったよなと思えることが多くなった。ただそう思えるのは、病的な親の行動に苦しめられたことがあったとしても、根本的に親が尊敬できる人間だと感じているからだと思う。

子供の頃から親によく教えられたのは、自立、社会貢献、公平性、平等性、ノブレスオブリージュの精神の大切さなどだった。親は子の私に何かを課したり成功を求めたりすることは一切なかった。母親とは社会構造や教育についての議論をよくしたし、父親はカント的な善を実行する人間だった。習い事なども大量にやらされていたが、習い事をさせるのが親の義務であると感じているようで、自分が休んでも真剣にやらなくても何も文句を言わなかった。うちの家はこういうことが多かった。形式的なことばかりで、意味が抜け落ちている。世界の理想を語り、己が身で競争社会で勝つことには興味がないような。両親はどちらの家系も発達傾向が強くあり、親族に会社員はほぼいない。親元では生活能力も社会能力もほとんど身に付かなかった。ただ、自分が大人になってからは、私利的でなく「親としての義務」を果たしていた彼らはとても尊敬できるなと感じている。

まあそんなわけで、今は親との関係は悪くない。当時気が狂うほど苦しかったのは本当だとしても、親も孤独な状況の上、病的な精神状態になっていたし仕方がないかと思うようになった。このような親のもと育つことができありがたいとすら思っている。一つ不安なのは、結婚相手の家との付き合いのことだ。(どのような人と結婚することになるにせよ)相手の家がここまで浮世離れしているということは稀だし、自分は大人として社会的な行動を求められても難しいし、不安な気持ちがある。それに自分自身も、身内も手帳持ちだというのは一般的にはそれなりに厳しい目で見られるのではないか?もちろん結婚相手自身はそのような偏見のない人になるだろうが。どうなってしまうんだろうね。

 

蛇足

よくよく考えて自分は本当にあまりにも人を社会的要素で見る(選ぶ)力が欠けている。モテるのはそれも一因だと思う。

社会的に優れている人間は、私の「男をステータスで見ない」みたいなところに惹かれるが、口説き文句は大体自分がどう優れているか、経済的合理性があるかという点だ。論理的におかしいだろと突っ込みたくなるが、結局根本的な価値観が社会に置かれてる人はそう言う以外にないんだろうね。かつてママが「学者や理系院卒オタク君と結婚しなさい」みたいなアドバイスをしてきたのは、割と的を射ていたのかもね。