20240423

今日は恋人の通院日だった。彼の症状は典型的な適応障害だそうだ。6月までと期間を決めてこちらのアパートを借してもらって別居、就職活動をする、ダメなら彼の地元にすっこんで仕切り直しはどうかと、案が出た。
私が折衷案として出した際に出た話とほぼ同じだった。全部理解のできる話だったが、お祝い金に手をつけてという点で何か引っ掛かりを感じた。深掘りをされて、また見切り発車に発言。彼と仕切り直してやるか、そもそも仕切り直したくないのか迷っている、自分の気持ちをよく考えないといけないと言ってしまう。

彼は問題を経済的な面に還元しようとしているが、結局のところ、お互いの価値観や考え方が変わるわけでもない。経済的に安定すれば考えなくても済む問題もある。最低限お互いに手取り二十万ずつとるとか。だが、それとは別の点で自分に強く精神的な負担がかかっており(これは彼にもかかっている)、よくある話だが、離れている分にはよかったが生活を共にできないと感じている。適応障害の一端には私の病的ではなく性格的な管理意識があるだろう、そしてそれは治らないどころか、自分の意識がはっきりすればするほど強く現れる。病的な自分を脱するほど、彼の苦手な面が現れるだろう。そして自分も彼の精神的・社会的な面倒を観れるほどの余裕のある、精神的にタフなタイプではない。 実のところ、最初に折衷案を出した時点で、冷静にいい意見だねと考えてくれると思っていた。毎日感情的になっている様子を見せられて頭が苦しい。私の話の切り出し方が非常に良くないのも理解した。情緒を理解していないのもわかった。しかし理解しても治らない、直せない。お互いに我慢を強いることになる。これが別居したところで根本的解決になるだろうか? (追加:仕事をしはじめたら彼自身の意識が変わり、管理意識の強い面が気にならなくなるだろうという話をされた。前もされたので理解はしていたが、一方自分の問題で、管理意識の高い側がどうしても管理をせざるを得なくなるという負担が出てくる。一生涯援助され左うちわな定期収入をもらえるなら別だが、それは現実的ではないだろう。お互い本来の性格的には使える分は使うタイプなので危うい。 病気もあり、管理をしなくて済む収入を得られる見込みがあると思わない方が良いだろう)

しかし情があり、愛もあり、何も決断に至らない。別れようと言えない。いや、言ったか。だが、当たり前ではあるが連日感情的に詰められ、より苦しくなり何も言えなくなる。好きな気持ちは確かに変わりはないからだ。ストレスで頭が締め付けられるようになっている。また病状が元に戻る。全てにまとまりが失われるような感覚。同じことの無限ループ。異様なソワソワ感。ブログを書くことでなんとか思考が整理できているような気がする。本当は彼に愛があるなら決断は早めにするべきだ。決して嫌いなわけではない。好きなのだ。うまくやっていけそうな兆しに縋りたくなってしまうのは自分が弱いからだと思う。