20240407

急速に生活できるようになってきている。

一方、恋人とはから回っている。生活の連続(正確に言えば、遠距離の恋人だった時の私と二人の生活が思考の中心になった私との間のギャップ)に打ちのめされているようだ。私の方はもう生活に関することについては完全に気持ちを切り替えて、ギアを緩めてみることにしたのだが、それはそれとしてやっていくために必要な管理や計画は継続している。ギアを緩めることと管理の要否は完全に分離した事象だという認識だが、「ギアを緩めることにした」「今は不安ではない」と口頭で説明してもうまく伝わった感触がなく、彼の不安解消には至らない。この道理が通るのはASDだけかもしれないとも思う。実際に生活の不安により頓服を飲むことはなくなっているのだが。

こういった、極端に人の気持ちを汲む必要がある場面で、自分の未熟さを実感する。仕事場で必要なコミュニケーション能力とは全く違う情緒的な理解や共感能力が求められる。今日は桜を見たり写真を撮ったりするために大宮の方まで出掛けてみた。昨日も気分転換に出かけたりドラマを見たりしてみた。生活が始まる前までのことを思い出しながら。これは自分なりの試行錯誤だった。しかし恋人らしいスペシャルな一日を演出するには足りないようだった。彼は疲れているのか抑うつ傾向にあるのかすぐに眠ってしまう。共に生活をすると、眠ってしまっている間以外の全てを彼に注ぐことはできない。抱きしめ合う時間もとっているはずだが、不安を解消することもできない。そして私自身も彼に当てられて不安定になってしまう。自分自身は、一人の時間や他者と接する時間をとったりすることで不安定さが解消しないか試している。彼にも、なんらかの形で私から離れてリフレッシュする方法を見出すべきだと勧めている。が、今は他者と接する気力も起きないようだ。正直言ってどうすればいいかわからない。

私は、この人と生活の連続を楽しみたいと思って一緒になりたいと思った。そこにギャップがあるとすれば仕方のないことだ。生活がうまく行かないのであればそれはそれでよしとして、現実的に、パートナーとして一緒に人生を歩むにはいろいろな形があると説明した。全てを捨てて一緒になりにきた彼が、私に見捨てられないか不安になっている現状を踏まえ、退路もあるんだよと安心させるために言ったつもりだった。だがそれも、感情的に不安定でもどんな形でも一緒にいたい、そのために東に来たんだ、という彼の気持ちを汲むものではなかった。もともと承知していたことではあるが、私と彼とでは思考形態が全く違い、お互いのケアをすることが難しい。お手上げ。

明日から三日間ほど帰省することになる。その間に彼は見知らぬ土地でリフレッシュができるだろうか心配だ。