20230627

生活訓練に行く。ここは目標を面談で設定して、支援を受けながら生活を立て直したり就労するのが目的の施設らしい。午前中は向こう側から提示されたプログラムで、自分や他人の強みを探す講義+ワークショップをやった。午後は多数あるプログラムの中から一つ選んで個々でワークに取り組んだ。なんていうか、自分ってまあ高知能な方なんだなと思わされる空間だった。仕事で普通に新人を支援したり目標を考える側をやってたのでうーんという気持ちになったし。また、受動的に受けるプログラムはどうしても集中力に欠けてしまうので、午前はずっと苦痛だった。コンサータ27mg飲んでいなければ黙って聞くことに耐えられなかった。反面、午後は有意義な時間を過ごせたと感じた。一日のスケジュールを考えよう!というものすごく初歩的なワークなのだけれども、こういうのを定期的にやれるのは大変ありがたい。自分で目標とか管理法とかを立てるのは全然できるが、実行能力があまりにも低く、継続できないため。

体験の後は施設の人と面談をしたが、今応募して入れるのは九月以降、八月就労目標だとうちでは見れないと言われる。優しい態度ではあったが、なんだかすげない感じだったな。私はここに来ている他の人よりはある程度正常な振る舞いもできるし、自分の状態を言語化できる、スキルもあり就職に不安はない。とはいえ、それでも限界が来ていて生活の全てが全てが壊滅してるから相談に来ているのであり、またここもダメか、疲れたなと思った。薬増やせばギリギリなんとかなってしまう(なんとかなってない)のも考えものだな。なんかいつも無邪気に元気そうな感じなのもな。

今日は傷病手当が最大18ヶ月もらえることが分かったのがよかった。あとローンの会社に電話ができた。何も設定しなければ月六千円が引き落とされるらしく、払っていけそうで安心した。友達に家に寄ってもらい、明日の退職準備と書類申し込みの作業ができた。officeのライセンスを900円で買って設定してくれて助かった。普通にこういうのヤフオクで売ってんだな。

恋人との通話で面接書類を後送付するだけのところまで仕上げた。見届けてもらい助かった!あとは生活訓練の話を聞いてもらったり、友達の彼女に嫌な気持ちになることを言われた話を流れで聞いてもらった。あなたは福祉をやってくれる人を恋人にしろと言われた話。恋人には、私はそういう支援なんて望んでないよと話した。でも全く何も知らない人が好き放題言ってるだけとはいえ、自分が「役に立つか」を評価されてたらそりゃやっぱ気になってくるよな。訳わからん人にどう思われてるかだけじゃなく、恋人にどう評価されてるかとかが特に。私は人にどう評価されてるかを気にしないし、逆に私も人に対して評価をしないので、そういうとこはフォローがあんまりできないなーと思った(フォローなにも、赤裸々に話さなければ良い話ではあるのだけども)。それにしても評価ってかなり社会の行為だよな。以前もだらだら似たようなことを書いたが、相手を評価して気持ちよくなったり、逆に相手の役に立って評価されて喜ぶことってとても一方的な行為で、好きという感情にそういう不純さが入り込む関係性は夢中になりづらいと思う。今は恋人とお互いに、役に立ちたいではなく支え合えたいと思えてるのがすごく幸せだ。これは自分にとって最も重要なことだと思う。

でもあんまり捻くれた考え方をせずとも、単純に好きな相手を助けたい・見放されたくないみたいな感情も了解可能で、難しいよね。一般に、自分の有用性みたいなのをアピールするのって、愛情を示すのに効果的な傾向があると思うし、恋人に「あなたは存在するだけでいいんだよ」と言われたって安心できないというか。というかむしろ他に何も提供できないと思わせてしまいそうというか。存在そのものが助けなんだって言いたいけど、自分に独特の感覚を正しく伝えるのはむずかしいよ。頑張って相手の助けになろうとするのって、なんかいまいち共感しづらい感情なんだよな。私はわ言われるまでもなく、自分が自分として正しく振る舞えば、存在するだけで相手に何かを与えることができると思っているから。でもそんな感覚が共感可能な人ってそうおらんだろうな。ADHDは普通に人に迷惑かけるタイプの障害なのに、こう思えるのもなんだかすごいことだな。ある面では自己肯定感が高いと言っていいんだろうか。それでも一度約束した人の気持ちが 知らないうちに変わるのを異常に恐れていたりでバランスが変だなって思った。

おわり!