20230622

精神科通院。11時のはずが就職エージェントと話してしまい遅刻。15時半に変更してもらった。時間が空いたので途中下車して恋人と通話。

戸田公園駅のチリチリで薬膳カレーを食べた。昔渋谷で行列ができてたカレー屋。営業時間が短かったり私語禁止だったり難易度の高い店だったが、移転してからはテーブル席も設置され、かなり行きやすくなった。

あとはCORNER CAFE TAPES RECORDS ZINEに行った。カフェだと思っていたが、1FがTシャツ屋、2階にはカセットテープとレコード、そしてZINE、クラフトビールが売っている店だった。戸田公園にこういうお店があり、店員の数もそれなりにいるのは驚き。駅まで戻る途中に閉店セール7割引の古本屋があった!月光条例を全巻揃えてしまった。

精神科のあとは友達の家に泊まりに行った。その時に別の友達から電話がかかってきた(しばらくちょっと気分が乗らずスルーしてしまっていた)。話題は就活のことと結婚のこと。

就活については、職務経歴書作成を手伝ってくれてた時より優しかったというか、私の状態をかなり下方修正したみたいだった。まずは期日を決めて群馬に帰る選択肢をある程度現実的にしたほうがいいと言われた。負担になるようだったら状況の報連相はしなくて大丈夫だから、とも言ってくれた。友達の彼女も気にかけてくれていて、フルタイムが無理でもうちの求人のパートを紹介できるから、と言ってくれた。正直障害者雇用以外でやっていけるかわからないので、と伝えたが申し出はありがたく、お礼を言った。

結婚に関しては二人ともかなり気にしているようだった。毎回、結婚は前向きに考えているがちゃんと時間をかけて決めるつもりだよ、と話してはいるのだが、どうもその期間が一年というのが一般的には短いらしく、齟齬があった。私としてはこの年齢で一年ちょいで結婚確定できないならその程度なんかなとも思うけど。

恋人は私の就活に具体的にどう力になってくれているのか、と細かく聞かれた。頑張った話を褒めてくれるし自分のペースでやろうねって応援してくれる、異業種だから具体的な話は聞いてないけど頼めば力になってくれると思う、みたいなことを言った。それに対して、話を聞いてくれるだけの人はダメ、実際にあなたの助けになる人でないといけないと言われる。極端な話、金持ちと結婚すれば大体のことは解決するし、腕力がないと何も解決できないらしい。そんなことはないと思うけどな。一般的でない人間にとって「話を聞いてくれるだけ」の対応がどれほど得難いものか。金銭や実作業の支援というのは、必要ではあるがそれがあれば全てが解決するものではない。私の苦しみが現実の操作でどうにかなるような課題に矮小化されたような気がして残念だった。

彼女は自分の父と母が「そういう感じ」でぐだぐだと10年一緒にいて、大変だったと言った。そういう感じというのは、精神的なつながりだけで社会のことを考えていないという意味だと思う。「望まれて生まれた子ではないから」「大人になってもアダルトチルドレンで苦しむし」「治ったり落ち着いたりするまで待ってくれる人の方がいい」などと言われた。そうなるともう相手の苦労を否定するわけにもいけないから、己の苦しみというナイフを用いた刺し合いじみたコミュニケーションをするしかない。「一生治らず一生結婚できないかも」「結局いつどうなるかわからない」「飢えれば死ぬかもしれないが、あとは自殺するだけというところまで努力したから、無理をしなくてもいいと言ってくれる人と幸せになりたい」アダルトチルドレンとかに関しては、発達障害は遺伝するけど、それをわかってて私が子を作るのは悪かなあ、とでも言いかえせたな。結局お互い理解し合えないんだから、こんなことなんて話したくないんだよ。私は彼女の苦労を理解できないし、彼女も私の苦しみを理解しない。

判断能力という観点で心配されているのだと思う。現実的な視点があり社会的な活動をサポートしてくれる人をどうして選ばないの?ってこと。でもうちの家系など代々誰も分かってないし、現実を見て結婚相手を選べなんて教育されたことないし、君たちとは判断基準が違うの一言でよくない? 愛し合う人と一方的でなく相互に施し合える関係性を築きたいよ。障害があるなら経済的・社会的に他者に依存して生きる道を選ぶべきなんて酷い話だ。周りに助けを求め、治るように努力しても、決して相手が期待するほどのパフォーマンスは出ない。結果は求めず無私の奉公をしてくれる場合も、可愛く弱いものとして振る舞う必要がある。逆の方向性もある。好きな人を助けて奉仕することそのものに快楽を見出している人などは、ともすれば傍若無人ともいるような我儘を喜び、進んで搾取をされたがる。私は彼らに「搾取の装置」として搾取されていると感じる。相手に依存してしまったら、相手の望むような装置として振る舞い続けなければという重圧が発生する。他者に媚び、頑張り続けたり無能であり続けたり、どのような形にせよ相手にとって魅力的である必要がある。私的な支援では、最終的には恋愛感情が発生し、感情的な見返りを求めるようになることがほとんどだ(そのような旨を伝えると理解されることがあるが、いずれにせよ気持ちに応えられず傷つける)。見目麗しく、あるいは女でよかったね、愛嬌があってよかったね、に帰着するような人生を自ら歩みたいと思う訳がない。もちろん、見た目や性格で人を好きになることは当然だが、こちらにはその権利はまるでないかのように、己の性的魅力を対価に社会をサバイブするよう勧められることばかりなのが悔しい。

精神的売春は苦痛だ。愛情ゆえに行動を支配したがるのも、自分が心地よく隷属するために感情を支配したがるのも捻れた態度だと思う。特に後者は自分自身でそのような欲求に気がつかない分たちが悪い。しかし今までは自分も他人に対して搾取をしてきたと思う。それは単に入力に対する出力を確かめるような邪悪な遊び心であったり、性的な欲求を満たしたり安心のようなものを得るためであったり、搾取してくる人間たちへの仕返しじみた加害欲求であったりした。愛を要求するならその真似事はやってあげるから、私の要求も満たしてよ?という搾取し合いの契約を結ぶような、業務的な感覚があった。暴力を振るってもらう代わりにセックスをするだとか。そのような関係が悪いとは思わない。特にお互いがその感覚を共有しあっているのなら。でも搾取の円環から抜け出せるチャンスがあるなら、抜け出したいと思うのは当然だろ。欲求を搾取にならない形で満たしてくれる人がいて、また相手の欲しがるものも無償で与えることができるのは最高に幸せなことだと思う。私もだけど恋人もまた、お互いに自分と他人の操作性に敏感で、加害者にも被害者にもならないで済む関係性を求めていたのかなとうっすら思った。恋人と真っ直ぐに気持ちをぶつけ合うのも、精神を握り合えるのも心地よいし、同じような方法で人を搾取してきた過去を共有することには興奮すら覚えるね。

今日は通話中は泣いたけどかなり冷静で頭が回っていた。安定剤も飲まず。耳鼻科で出された栄養剤のおかげか、食事のおかげか。色々言われたけど、どのみち自分のことは自分の意思で決めるから、何も影響はないんだよね。今までもそうして生きてきたし、これからもそうする。嫌な気持ちにはなるし、泣きたくないのに泣くし、精神状態が悪いので正直やめてほしいが。

泊まった友達には結婚の話したら応援され、よかった。本当はポジティブなことの方を掘り下げたかったね。