20230803

病院。この2週間のことについて話す。強迫があり、身体のほくろや毛細血管や歯の白さなどが気になっていた(何か施術をやろうかと考えていた)という話をした。また、例の魂と身体が分離する感覚についても話した。自分自身の欲求や身体が気持ち悪く耐えられないと伝えたら、子供の頃のこととかを聞かれ、根深い問題だねと言われた。話しているうちに、自分に対してのこの嫌悪感も強迫の症状なのかなと思った。主治医に厳しい家庭だったのではと評された。自分はそう感じたことはなかったが、確かに謎な部分に息苦しいほどのストイックさがあり、その価値観は家族全体に蔓延していたと思う。体型を維持することについてはわかりやすい例で、当時は痩せたいという気持ちが強いわけではないのに、食事ができないことが多かった。身体の異様な嫌悪感は高校生の頃をピークにしてかなり頻度が減ったが、今思うと進学を境に家族から離れることができたからかもしれない。弟たちもある部分で息苦しい価値観の中で生きてはいるが、自分はADHDで、とりわけ「ちゃんとする」ことができず、また一般に生活能力や容姿を求められやすい性であるため、自己嫌悪を抱きやすかったと思う。生活能力・その他について親から「矯正」をされたことはなかったが、逃げられない終わりのないマラソンを走り続けるような感覚は大人になっても続いている。この表現は違うな。常に集中を保って高速道路を運転し続けなくてはいけないような。そして問題は生活だけではなく、人生設計や人格全般に及んでおり、簡単に片付けられるような話ではない。まあ長々と書いたが、これは割とどうでもいい話だ。

病院で帰り際に、「精神2級は取れないよ〜一人暮らししてるってことは生活能力ないと見做されないし入院とかしてないと」と言われ、そうなの……と動揺してしまった。先ほどの話に関連して、実家にはできるだけ帰らない方向のほうがいいですよね?と確認したら、そうだねと言われ、でも生活は全くできず破綻してるというのに 実家にも帰らない方がよく もうどうすればいいんですか?となってしまった。ぐだぐだ言ってたら、次の人もいるからって追い返された。つらすぎてちょっと泣き、頓服を飲んだ。病院で会った友達とご飯を食べて、家を掃除してもらった。

夜は身体が動かなくなってしまったが、頭は冷静だった。私が2級を取れないのは年金の条件に合致しないせいで(何年も前に条件が厳しくなったらしい)、是正されるべきなのではないかとは思うが、福祉のシステム全体を見たときに、私が優先順位の高い人間かどうか考えるとそうではない気がする。一部を除き、行政支援というのは主にメタ的な認知能力に欠ける人のためにあり、状況の整理をサポートするような形で介入されるようだ。それでも、行政の中でも私のような「問題のない」障害者にとても親身になってくれる人は何人もいた。今日は主治医に追い返されたが、今まで全く何も話をしていなかったのに、最近は毎回長い時間をとってくれてはいる。それに2級を取れなかったからといって、もらえたら儲け物だった金が貰えなくなったというだけで、状況は変わらない。できることもまだある。社労士に相談すればこのようなケースでも年金の申請が通るかもしれない。まだ戦えるし、人々は優しい。

それでもつらかったのは、自分の苦しみが誰にも理解されないと感じたからだ。自分自身の制御を強迫的にやってきた身として、他者の助けを借りるしかないというのはあらゆる手立てを考えた上での結論だ。ここが努力の地平であると理解されることは少ない。このような状況になっている割には、私が冷静で明晰で感情的ではないからだ。自分自身の状態を筋道立てて説明しても内部感覚の調整をする薬が出るだけだ。行政も医師も私のことを「自力での生活が困難」というレベルではないと判断している。かといって入院になるビジョンはまるで湧かない。その前に自分は死んでいるだろうと思う。入院などしたら実家がどうなるか、考えただけで憂鬱だ。本当はこんなに頑張って救済される意味もなく、ただ死ねば終わるのにと思う。もはや全てがめんどくさく、世界や社会や人間に何も弁明したくない。家族はもちろん、友達にもあまり精神的なことは話すことがない。必要性を感じられず、今までは医者にも心理士にも話してこなかった。今、面倒でも医者に話をしているのは足掻きだ。それをあしらわれるのは堪える。でもだからといって医者に心の救いを求めるのもちょっと違うしな。

前に人に筋の通っていない嫌なことを言われた時とは違って、ちょっとどうしようもないことという感じがして、悲しみきれなかったな。割り切ったつもりでいたが、恋人が悲しんでくれて、それがなんだかとても嬉しかったというか、自分もちゃんと悲しめた気がしてよかった。そういう感情があった。