20231003

嬉しいことがあった。恋人が親に結婚の話を切り出して祝福してもらえたらしい。私が手帳を取得していることも伝えたようだが、特に何かを懸念されたわけでもないようだ。愛する人と結婚に向けて着々と話が進んでいて嬉しい。精神に問題を抱えつつも、未来に向けてやっていく気持ちを強く持てるということは、とてつもなく幸せだ(しかも、お互いに!)

それはそれとして、恋人の体型管理について言及してしまい、少し嫌な雰囲気にしてしまった。前提として、私は他人の体型がどうであろうと気にならないし恋愛感情を左右するようなことだとも思わない。ただ、私自身に欲求のコントロールができないのは醜悪なことだという価値観が刷り込まれており、とりわけ体型については、身体の冗長性に耐えられなくなり、気が狂うような苦痛が身体症状として現れることが多い。過食は(醜いので)やらないが、拒食症状は生涯を通して起こりがちだ。

相手は自分の身体を受容していこうね話という話をしていたはずなのだが、その過程で今の自分が受け入れられない、昔は痩せていたので努力の必要がなかったといわれると、本当に受容ができないのであれば痩せている時点で予め何か行動をするし現在も悠長にしていられないのではと思ってしまう(ただのボヤキであろうにも関わらず!)。それに、自己受容もグラデーションの問題なのだから、異常で不幸な価値観を押し付けたくはない。なのにどうしても言いたくなってしまった。他人の容姿に関わることなど、良いことにせよ悪いことにせよ言及などしたくないのに。それは他人に強く呪いをかける行為だ。気分が落ち込み、反省。

自分のこととしては、福祉事業所と転院先に電話をしたが、たらい回しにされて疲れた。転院先は何も決まらなかったのでまた明日いくつかの病院に連絡する必要がある。耐え難いほど苦痛な身体症状は続いている。人は親切だが、逼迫している状況の割には全てがあまりにも緩慢で精神がすり減る。優先せずとも保つ人間だろうと、理性を信用されている。狂いそうで限界なとき、通常は事実や状態を冷静に説明できることもできないし、手続きも一人ではできないようだ。あらゆる場面でまずは主観的な感覚を訴えたほうが効果的かもしれない。自分は自分自身の感覚や感情がプリミティブなものだとあまり感じないし、まあ皆さんが大変じゃないと言うのならそうなのかもね、それでやってみた結果が今ではあるんですけど、廃人になるなどまだまだ先があるのかもしれませんね、とだんだん面倒な気持ちになってきた。手続きの数が多すぎて煩わしい。ただ、幸福を志向しているので、感情はともかく、諦めないぞという思考を強く持っている。