20231001

気が狂うような謎の身体症状で早朝に目が覚め、眠剤を割って二度寝。昼は両親と食事。恋人が都内に別件で来ていたが、午前中から午後早いうちの用事がなくなったため、会えないかと言われた。実家が遠い+駅まで車を運転する必要があるので時間までに間に合うかわからず、他に用事ができたらそっちを優先してくれと伝えた。急いで支度をして、ギリギリ間に合うか間に合わないかくらいの時間に着けることになったが、恋人から「午後の約束を早めたため着時間には会わず、夜に会わないか」と提案された。元々調子が悪く慣れない運転をし、嫌いな電車移動を行い、さらに徒労、という感じで、かなりバッドになってしまって動けなくなった。こういうときはイヤな方向に思考をしてしまうし、当て擦りたいような気持ちが生まれるためよくない。

人に安心感を与えるコツは基準を明確にすることだ。気分によって許容の基準をブラしてはならないし、態度を変えるべきでもない。特に長い間接触する関係性では気をつけるべきだ。心理的安全性がないと、一挙一動が機嫌伺いにつながりパフォーマンスも低下する。今回は思考と感情にかなりの乖離があり、落ち着くまで時間がかかった。自分の状態を説明し、過敏になっていることを説明したが、思っていたよりも相手を謝らせることになってしまい困惑した。本当は対話で「予定はコロコロ変えないでね」と軽微な注意をして「ごめん〜!」くらいの想定でいたのに。このようなことは自分にとって珍しい。調子もあるが、恋人に対して甘えているのだと思う。気を完全に許さず緊張感を持って接していれば起こらないことだ(通常、どのような関係性であっても人間に気を許すことはない)。良いような、悪いような。

今日はあまりにも脳が悪く、トラウマと連想して、どうせ自分が自殺企図しても用事をやめてこちらにきてくれるわけでもないし、というような発想まで浮かんだ。極端なことを考えた瞬間、冷静な自分が認知が歪んでいると判断し考えを訂正する、というようなことを何時間も繰り返し激しく消耗した。思考にブレーキを慌ててかける頻度が高いほど、頓服を飲むという考えが抜け落ちると学んだ。

恋人はたくさん謝って優しくしてくれたが、自分自身で考えて、メンタルが悪いときは無理をしないなど、適切な行動をとるべきだろうと思った。自己コントロールのミスをすると他者との関係にまで影響を及ぼすし、また、適切でない手法で人の注意を引き付けることに成功し、味を占めてさらに自己コントロールを手放す羽目になどなりたくない。剥き出しの自分をさらすことが、他人と生(き)の感情をやりとりするということだという人もいるが、自分はその宗派ではない。治療の文脈でもなく他人にコントロールされたくないし、他人のコントロールもできるだけするべきではない。(私は治療の文脈でもコントロールはされたくないが。しかしそうだとして、治療者にコントロールされているという感覚は何から生じ得るのだろうか?自分の考え方や方針を変える際に「自己決定した」という感触が生じるとよいのだろうか?そもそも導かれることに合意をしていればよいのだろうか?異なる考え方を「提示」にとどめられ、誘導のラインがないことが大事なのだろうか?まあどうでもいいことだが)