20230914

早起きして初診の病院に行った。書類を受け取ってすぐ帰った。初診の病院にはいい思い出がない。高校の時四者面談になったあとにかかった病院で、模様が何に見えるかとかりんごの木を書いたりする検査をして、こんなんで何がわかるんだよと思った記憶がある。医師は母親の話しか聞かない。誰も信用できなくてろくに何も話さなかった。検査をやってくれた心理士さんが優しそうだったから、母親の話を信じないでくださいと言いそうになったが、結局言わなかった。何も解決しなくても死ねば全てが終わると思っていたからだ。それからだらだらと生きて10年が経ってしまった。

午後は横になって休んでいたが、母親に叩き起こされた。母親からすると、私は本物のうつではなく、食事を中心とした生活習慣の悪さからくる体調不良で、仕事をしたくないだけらしい。本物のうつなら動けなくて寝ているから実家に戻るしかないと言われる。さすがにうつだから今寝たいんだと主張すると、拗ねて「うつで無職じゃ結婚なんか許してもらえないから早く治しな」と言ってきた。それはまあそうかもなと思い、頓服を飲んで横になった。母親にはこれから障害年金を申請するなどの説明はして、まあいいんじゃない、という感じで受け入れられたが、どうも無理解だ。

夜、自分で借りている家に戻って互助会(友達の障害者同士で作業通話やタスク管理をしあっている)に参加。そのあと恋人と通話して、実家の話をした。弟1がTwitterで障害者である私の結婚(また子どもを持つこと)、および労働をしていないことについて否定的なことを言っているらしいと聞いた。彼は彼で厳しい価値観を内面化することで社会生活を送っているので、嫌な気持ちになりつつも水に流す。というより家庭の全員がそのような価値観を持ち、リタイアする者が罵られるようなシステムになっている。障害があることは認められても、それによって自活ができないのは、余程の「重度」でなければ甘えということだ。だから皆病気や苦しみを余計に隠す。先日弟3が留年の告白とそろそろ自殺を考えていたという話をした。実は以前にも弟3は自殺したいという話を母親にしていたが、あんたが自殺するわけないじゃんと留年でもしたんじゃないの?と笑っていた。推測は当たりだ。うちの家庭にとって、留年自体は大したことではない。親族の経歴も紆余曲折がありまくる。とはいえ彼が半年以上留年を隠し続け自殺まで検討したことを、大したことではないという話で済ませてはいけないと思う。母親もかつてよりは幾分か真剣にはなったが、この期に及んでも一笑に付すような態度で、弟のことが心底哀れだ。彼は「自分はおそらくADHDで、恵まれている状況なのに努力できない自分が嫌になる」と私に少しだけ話した。わかるよ、と言った。弟3は本当に私と似た苦悩をしており、大事になる前にどうにかして助かってほしいと思う。

私の家は恵まれている。容姿にも知能にも優れるように産んでもらえた。田舎であれど裕福で、経済的な理由で進学先に制限が加わることはなかった。田舎的な選択肢の無さは感じていたが、親からは進路を強制されることも無理に勉強をさせられることもなかった。自分を憐れむことが許される存在ではないと思う。親は私が幼い頃から、ノブレスオブリージュという言葉をよく教えた。持てる者には義務が伴う。特権に見合った努力をし、無私的に他者を慈しみ、社会に貢献し、崇高な精神を持つように努める必要がある。実際に悪い思想ではないと思うし、自分の家庭ではそれが当然のようになされていた。倫理は感情などという有限な資源で規定・実行されるべきではなく、基本法則であるべきだ。「そうであるべきだから」で倫理を実施でき、物事にストイックな親のことを尊敬している面もある。

問題は自分の病気でしかない。自分自身の気が狂ったり死のうとしたりしたところで、行動に移さない限りは生活は続いていく。頭の調子が悪くなった程度では、簡単には何からも逃れることはできない。もちろん、それは誤った考えだ。原理的には人間の自由は阻害され得ない。自分の認知の歪みと向き合い、病気を受け入れて、周囲のことを気にせずにやれる範囲のことをやる/できた自分を褒めていく必要がある。あるが、もう専門家と四年もやった。何もできない自分を受け入れることができた。様々な工夫により徐々にできることは増えた。人間レベルの生活ができるようになった。だが、できるようになると、さらなるステップが待っている。生きるためには生活も仕事も必要だ。普通の人間になるための階段は果てしなく続く。そのうち頭が壊れて何もできなくなってしまった。もはや何もできず手遅れな状態でようやく助けを求めても、大体の支援者にとっては私は「できる」方に見えるようだし、傾聴はされど、今の一時的な状態からどう自立して回復していくかを見据えた話になる。その度に諦めに近い気持ちが生まれる。人に寄り添いの言葉をかけられても、どう自分を捉え改善に導こうとしているかが気になってしまう(これは自分の直観的な物事の見方が構造優先で細部に鈍感なせいかもしれない)。改善のことなどもはや一切考えたくない。できることをやっていくしかないと思ってはいるが、それすらも命を絞って出している感覚がある。一方で福祉課の人は最大限の「できなさ」を想定した提案をしてくれる。ほっとするが実行にうつせるかも、規定に引っかかるかも不明だ。

病気の告白がうまく、つらさを訴え、自分が憐れまれるべき存在だと確信し、主張できる人間から救われていく。家庭の異常な価値観から離れたとしても、自分の能力不足を克服すればするほど、問題のない人間としてみなされ、緩やかな努力義務を押し付けられる。自分を恵まれず劣った人間だと信じきり、生まれ持った義務感のようなものもなく、苦痛を隠さずに済み、哀れまれている人間が羨ましくて憎い。しかし同時にそのような人間は確実に救われるべき存在であり、憎まずに慈しみの気持ちを持つべきだと思う。たまに他人の苦痛を尊重できずどうしようもなく羨ましくなってしまうことが、情けなく醜く苦しい。貴族としての義務を放棄しながら乞食の自由さに憧れているような、そういう痛々しさを感じる。しかしその感覚も誤りなのだろう。

私は死ぬまで可哀想バトルに勝てない。世界はそのようにできている。私が福祉の手続きを頑張っても、弱者ではないと見做される確率の方が高い。実際に自分は強者なのかもしれない。もしかしたら本当に頭を無理やり働かせて労働をしたほうがまだ苦痛が少ないかもしれない。十分長い期間休んでいるが、一生休めないような気持ちがある。