20240330

 焦燥感はあまりない。もはややる事もやり尽くしたし、調べることもなくなった。弟3が用事で近所に来たので、家に来ないかと誘ったが断られた。一瞬泣きそうなほど寂しくて、偶然会えないかと思いながら、近くで散歩をしていた。柄でもない。

 柄でもないが、どうも家族と分離するのが寂しいようだ。自分の家特有の自立意識がそうさせているかもしれない。自分の両親は思想はリベラルでありながらも保守的な性質を併せ持ち(カスのヒソカだ)、ストイックに「家庭」を優先し続ける人だった。子育てにおいては、子を自立した大人へと育てることを至上のミッションとしており、働き始めてからは特に別の世帯として扱われていた。ミッション完了、というわけだ。自分が家庭を持つということは、本格的に彼らとは別の、最も優先するべき新しい世帯が発生するということだ。幸福なことではある。が、同時にそれは決定的な別れを意味する。

 また、新しい家庭の責任は全て自分達に帰属する。自分が家庭を作っていけるか・自立して生活していけるかどうかは目下の課題だ。現状の自分は、介助なしでの生活が難しい。稼ぐ力も失われ、自立のできていない、パートナーにとっては非常にお荷物な存在である。不安が強い一因だ。また、自分もさることながら、パートナーも生活能力が高い方ではない。二因。ただ、パートナーは生活能力が高くないとは言ったものの、自分よりも現実に即した物の見方をする人で、判断力がある。自分はといえば、生活の知識はあるものの、常に生活に怯えながら生きている。うまく補って生きていけると良いなと思う。

 いよいよパートナーが自分の家に来ることを実感してからは、焦燥感と不安は弱まり、純粋に寂寥とした感じだけが残っている。以前ははやく家庭から逃れたいと思っていたが、いざとなると寂しいものだな。自分と親の関係性は、仲が悪くそして良いような、複雑なバランスで成り立っている。