20231012

朝から苦痛が激しく目覚める。眠剤を追加して二度寝をするもまた苦痛で目覚める。目眩と動悸がする。苦痛は日に日に激しくなり、はやく楽になりたいという気持ちばかりだ。他者から援助を得られるような形の、あるいは生活に根ざした具体的な事例についての困り事があり、感情を表出できる者が羨ましく憎い。私は凹凸を埋める努力を死に物狂いでしなければいけない。死に物狂いでできるようになったことが、「まともさ」の証であるかのように扱われる。支援をする人間は「まともさ」で実態よりも深刻に捉えてくれないことが多いし、支援を受けているような人間は「まともさ」のある人間に非常に攻撃的だ。確かに私は恵まれているだろうなと思う。自分は憐れまれるべき環境で生きてきていないとも思う。でも、だからこそ自分のことを心底憐れむことができる人間が狡いと思う。とはいえそのような人もそのような人で、それぞれ相応の苦痛があるのだと思うと痛ましく、何も言えなくなる。私が他者に主観的な苦痛や痛みを理解されないように、私も他者の主観的感覚を理解し得ない。にも関わらず憎いという感情を抱く自分が醜く気持ち悪い。

恋人から、私に対して気遣いや配慮ができなかったことを謝られた。自分自身が技術として身につけた範囲以外の気遣いができないという話をされた。そんなことははなから知っていて、それでもその優しさを他者に適用しようとする姿勢が好ましく、不器用で愛おしいと思うのだけれども。彼も調子が悪いのに、さらに自己嫌悪をさせるような態度をとってしまった。こんな時に私をケアさせることになってしまい申し訳ないと思う。たくさん謝られて困惑した。困惑するくらいなら、冷静な対応を貫くべきだった。私といるときくらいは、あらゆる機嫌伺いから解放してあげたいと思っていたのにね。

頓服を何錠かわからないがとにかくたくさん飲む。2時間遅れて友達に会いに行く。昼はサイゼ、夜はゼリー。存在の過剰さに耐えられない。構造物は目的があって作られるという点で多少はマシだ。夥しい数の人間が意味もなく、意味を作り上げながら存在していて悍ましい。そして自分という存在そのものがあまりにも過剰で冗長で醜く耐え難い。胃の中身を全て嘔吐した。かなりの苦痛があったが、その後はここしばらく感じていなかった穏やかな気分になり、落ち着いていた。実存主義など鼻で笑っていたが、初めてサルトルでも読もうかと思ったね。

ここのところ思考が冴えている。本を読みたくなる。抽象的なことばかり考える。小説家になろうは全く読んでいない。よくない兆候だ。ある種の明晰さというのは、生きていくのに適切なレベルでなければいけない。全てを意識的に曖昧にしなければ、世界の細かさに耐えられない。